手術後の経過

手術をしてから、4日経ちました。麻酔がさめた後は、下痢のような痛みがありましたが、その後は生理痛くらいになっていました。出血ももうすぐ止まりそうなほど減っています(昼用を1日1〜2個使う程度)。しかし時々、下腹部から腰にかけ、あるいは下腹部からお尻にかけ、差し込むような痛みがあります。今日は散歩をしている時に起こりました。歩くこともできず、痛みでしゃがむこともできず、立ってても痛い。しばらくするとまた歩けるのですが、瞬間的に気を失いそうなほどの痛みです。
家に着き、痛いながらも晩ご飯の用意をしているうちに、出血したのを感じたのですが、その直後に痛みが楽になったことに気付きました。どうやら、子宮が内容物を排出しようとする時に激痛が走っていたようです。
この痛み、よく動いた時ほど起こります。お医者さんが「早く血を止めるためには、よく動いて下さい」と言っていたのも納得です。昨日までは、どういう時に痛いのか、どうしたら楽になるのかが分からなかったので、痛い時は横になって過ごしていましたが、痛くてもやはりよく動かないとダメなのですね。

流産手術をしました

一度心拍を確認した後、8w6dの大きさにまで成長したのですが、それ以後成長が止まってしまい、流産手術をすることになりました。ネットで情報収集をする過程で、この辛い気持ちは自分だけではないのだ、と慰められましたので、個人差はあると思いますが、私もここに記しておこうと思います。
基礎情報として、年齢33歳、共働き、結婚3ヶ月での自然妊娠でした。基礎体温は次の生理が始まったら付けよう、と思っているうちに、妊娠しました。生理は割と規則正しく来る方です。生理予定日から2w経ってから、妊娠検査薬でチェックしたところ、うっすらと陽性反応が出ました。
翌日、病院に行って検査をしたのですが、その時には赤ちゃんの袋しか確認できませんでした。先生からは、本来ならば、しっかりと赤ちゃんがいるはずなのに、いないということは、排卵が遅れたか、赤ちゃんが成長できないでいるか、どちらかの可能性があると言われ、その後は、妊娠初期の流産は、卵の側に原因があり、決してお母さんの責任ではないから、という話をこんこんとされました(この日から基礎体温をつけ始めました)。
1週間後検査に行くと、今度はピコピコとしている心拍を確認することができ、「これで大丈夫」と言われ、母子手帳を交付してもらいました。この時は、本当に嬉しかったです。夫と一緒にお腹をよしよししながら毎日過ごしていました。
それから20日後、3ヶ月検診に行くと、ベビは随分と大きくなって、卵の形から頭と体に分かれた人間らしい形になっていたのですが、心臓の確認ができませんでした。先生からは「これはダメかもしれませんねぇ。形ははっきりとしているから、ダメであった場合は、ここ2、3日のことでしょう。ただ、心臓は角度によって見えないこともあるから、後日もう一度確認しましょう。」と言われました。
ダメになると、赤ちゃんはグニャグニャになって形が維持できないこと、体温が下がり、つわりが無くなり、2週間後くらいから出血が始まる、と言われました。私の場合、つわりは初めからほとんど無かったので、そのことを伝えると「本来ならば、この時期はつわりがピークを迎えるはずなのですが、4人に1人はつわりの無い人もいますから、それは気にしなくていいです」とのことでした。

「鼓膜が出来ていなくても、赤ちゃんは聞いているから、変な発言はしないように」と母に言われていたので、ベビはまだ生きていると信じ、「どう? 元気? 」とお腹に呼びかけて過ごしていると、2日後、「生きているよ! 」と返事があるかのように、吐きはしないけれども気持ち悪い、尋常じゃないほど眠いという、つわりのようなものが始まりました。
出血もないし、高温期も続いていたので、ベビは生きている! と信じていたのですが、1週間後検査に行くと、ベビの形はかろうじて保たれているものの、心臓の確認はできず、大きさもちっとも変わらない上に、赤ちゃんの袋はつぶれていました。エコーの画像を見て、ダメになってしまったんだなぁ……と実感しました。
この大きさになると、子宮口にひっかかって自然では完全に出ることが難しい上、激しい腹痛があり、(詳しい説明は忘れてしまいましたが、出血を止めようとして血小板が子宮に集まってしまうから血小板不足になり)血が止まりにくくなるので、出血が始まる前に手術する必要があることを言われました。
手術は半日で終わるから、半日空いている日に手術をしましょう、ということで、私の予定で4日後にすることにしました。手術では全身麻酔をするから朝は絶飲食で来るようにと指示され、病院を後にしました。
家に帰って夫に電話をし、義母には夫から伝えてもらいました。
職場の上司(2児の父)に報告すると「そういうことはよくあることだね。うちでは、『忘れ物を取りに行った』と表現してるんだけどね、下の子は3回忘れ物を取りに行ったよ」と、初めて聞く話にびっくりもし、またすてきな表現に慰められもしました。夫とともに「うちの子も忘れ物を取りに行っちゃったんだね……」と口に出すことで、随分救われました。
手術の日を決めた翌日、おりものの中に一筋の血が混じっていました。結局手術の日まで出血は無かったのですが、この日から生理前のようなゴロゴロ感(?)を下腹に感じました。「忘れ物を取りに行った」と考えることで、お腹にはベビの抜け殻が残っているのだと思え、また、下腹のゴロゴロ感を感じることで、その抜け殻を体が排出しようとしていることも自覚できました。
手術の日は、夫も休みをとってくれました。朝8時半に来るよう指示されていたので、朝は食べず、水も飲まずに、夫の運転する車で病院に行きました(前の日は普通に晩ご飯を食べ、風呂上がりもしっかり水を飲みました)。まず、最終確認ということで手術前にエコーをしたところ、袋の中にころんとした団子が入っているような状態になっていました。「やはり手術ですね」ということで、手術室へ。上の服は着たままで(ブラジャーのホックは外すよう言われました)、パンツを脱いで台に上がると、お尻に注射を打たれ、膣の消毒と平行して右腕に麻酔の注射を打たれました。声を出して数字を数えるよう指示され、「いーち、にー、さーん、……」というテンポで十まで数えたところで意識を失いました。
夢を見ていて(内容は忘れました)、夢を見てるってことは寝ちゃったんだー、と気付いて目を覚ますと、視界はぼんやりとしていたけれども、手術室とは違う明るい部屋で横になってました。夫の名を声に出してみると、夫はそばにいました。時間を確認すると、9時でした。強い眠気を感じましたが、手術室に行った10分後には、看護婦さん3人がかりで重そうにベッドに運んでくれたこと、動けるようになったら中のタンポンを出すから看護婦さんを呼ぶように言われたことなどを聞いているうちに、吐き気がおこり、胃液を吐きました。
一度吐いた後は落ち着き、自分がパンツをはいていること、タオルケットを掛けられていること、パンツにはナプキンが当てられていること等、周囲の状況を確認する余裕が出ました。徐々に麻痺も取れ、下痢の時のような腹痛を感じました。10時過ぎに看護婦さんに付き添ってもらってトイレに行きました。出血はひどくなく、生理1日目くらいでした。
その後、診察室で先生からの説明を聞きました。手術のことは生理が来たと考えて欲しいこと、10日後から性交して構わないが、今妊娠すると手術で傷ついていないところに着床しようとして、結果、出口付近に着床して前置胎盤になりやすいのと、鉗子が入るだけ子宮口を広げているため、せっかく妊娠をしても流産しやすくなるから、次の生理が来るまで妊娠は待つよう言われました。それから、止血剤は出しているけれども、とにかく自分で止めることが大切で、止まりやすくするためには動くようにとも言われました(寝ていると、血が止まりにくくなる上に、普段より大きくなった子宮が後ろに下がりやすくなるとのことです)。激しい出血・熱・痛みがある場合は連絡を、一週間程度で血が止まらない場合は診察に来るようにと指示され、3日分の止血剤と抗生剤をもらい、病院を後にしました。治療代は6,890円でした(もともとこの病院の治療費は安いのですが)。
昼ご飯を食べ、薬を飲み、うつらうつらした後は、洗濯物をたたんだり、片付けしたりと通常通り動いています。引き続き健康に気をつけて、またベビが戻ってくる日を待とうと思います。

なりひらの恋 在原業平ものがたり

いちご同盟』を中学の時に読み、 三田誠広に一時はまっていた気がします。ただ、読んだ、という記憶があるだけで、内容はあまり覚えていません。自分の記憶力のなさが残念です。
三田誠広の名前が懐かしくて、借りてみました。歴史も踏まえつつ、しかし『伊勢物語』の記述も大切にしている感じがして、良かったです。

豆腐屋の四季

読了。
独立して1年目。アルバイトとはいえ、自分の専門を生かした仕事に就いているのに、うまくいかないことが多く、自信を喪失しています。働くって難しい、お金を稼ぐって大変。そう思っているせいか、体が弱く、貧しいながらも、「労働」に対する姿勢がとても勉強になりました。
松下竜一歌人でも作家でもなく、「豆腐屋」であることにこだわっています。機械で作業をすれば楽であるはずなのに、松下竜一は、機械を嫌う。「機械が据わり労働の過程が楽になればなるほど、私は何かを失いつつある気がしてならないのだ」そうです。苦しみながら働くからこそ、素晴らしいのかもしれません。

労働とは労(いたずき)のことであり骨折りのことであったはずだ。苦しみに耐えることであったはずだ。だが機械はつぎつぎに労を省き苦を去ろうとしている。いいことではないか、すばらしいではないかと機械を礼賛するのみでいいのか。そうやって心身の労がなくなり苦への忍耐が薄れるとき、はたして私たち人間は何ひとつ失っていないのだろうか。機械はひそかに人間の本質から何かを奪い去っていないだろうか。人間の心情に機械の及ぼす影響は無視していいほど微少だろうか。

トリセツ・カラダ

海堂尊にはまった時に、とりあえず図書館にある海堂尊のものは全部読んでみようと思って予約していた本。高校の生物でやったなぁ、(出版されてないけれども)高校生の時に読みたかったなぁ、などと思った。
癪は胆嚢炎のことだと言われている、とあった。メモメモ。

豆腐屋の四季

出久根達郎『夢は書物にあり』に出てきた本。

豆腐屋の四季』の松下竜一が好きで、長いこと、こつこつと集めていた。(「相聞」より)

同書中の他の所にも(労働文学としてだったかなぁちがうなぁ、何か、そんなことを書いたところにも出ていた気がするのに。)挙がっていたので、早速借りてみた。

夢は書物にあり

今日の午後はオフにして、久しぶりに、目当て無く図書館に行ってみた。そして、出久根達郎を見つけた。
中学生の時、クラスメイトに「何か本を読みたいんだけど」と聞いたら、「私は出久根達郎長野まゆみが好き」と教えてくれた。早速借りてみたけれども、数頁でやめてしまった(何を借りたのか、作品名はもう思い出せないけど)。今回もまたあきらめてしまうのかなぁ……などと思いつつぱらぱらめくってみた。あら、面白いじゃないですか!!
良い本と、良いタイミングで出会えました。図書館浴ってすばらしい!